2015年03月16日
有田市も資源は沢山あるんだけど ・ ・ ・
日頃クルマで通る範囲でしか有田市を見ていないので、
それが全てだと思っているけど、
もっと色々な風景がありました。
箕島駅からクルマが入らない細かい路地を西に歩いて、
三菱電線のあたりに出てから
港町の山本家住宅までを行き帰り道を変えて往復しました。
歩いてしか行けないし、
今では住んでいる人意外
誰も入って行かなくなってしまったような街ですが、
とても魅力的な建物や、
少し手を入れれば魅力的になるような建物が
まだまだ残っています。
路地の形を見ても
湯浅町とは街の成り立ちが違うことを感じます。
川船で運ばれてきたミカンが、
海の船に積み替えられる港があったことで発展した町。
それを管理するために紀州藩から派遣された役人が住んで、
藩主が海を眺めて心を休めるために
度々訪ねてくる場所でもあった山本家住宅。

この歴史を刻んできた環境を
いま守らなければ手遅れになってしまう ・ ・ ・ 。
残したい建物の中では、
そうとう新しい分類になると思うけど、
この2件は、
こころがホワンとなって好きです。


相変わらず写真が上手じゃないことが残念 ・ ・ ・ 。
それが全てだと思っているけど、
もっと色々な風景がありました。
箕島駅からクルマが入らない細かい路地を西に歩いて、
三菱電線のあたりに出てから
港町の山本家住宅までを行き帰り道を変えて往復しました。
歩いてしか行けないし、
今では住んでいる人意外
誰も入って行かなくなってしまったような街ですが、
とても魅力的な建物や、
少し手を入れれば魅力的になるような建物が
まだまだ残っています。
路地の形を見ても
湯浅町とは街の成り立ちが違うことを感じます。
川船で運ばれてきたミカンが、
海の船に積み替えられる港があったことで発展した町。
それを管理するために紀州藩から派遣された役人が住んで、
藩主が海を眺めて心を休めるために
度々訪ねてくる場所でもあった山本家住宅。

この歴史を刻んできた環境を
いま守らなければ手遅れになってしまう ・ ・ ・ 。
残したい建物の中では、
そうとう新しい分類になると思うけど、
この2件は、
こころがホワンとなって好きです。


相変わらず写真が上手じゃないことが残念 ・ ・ ・ 。
Posted by CAOS at 17:25│Comments(0)
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