2015年10月24日
『 あさが来た 』
久しぶりに楽しんで観ています。

明治新政府の政策で、
『 銀目停止 』
それまでの
金銀銅貨それぞれ関連なく流通していた
複雑な幣制を合理化したので、
銀貨本位体制の大坂経済が壊滅的に打撃を受けて、
大変な騒ぎになっている。
ちょうど今はそんなストーリーですね。
このあいだ別子銅山の本を読んだけど、
新居浜市の発展からの考察が多かったので、
もう一冊、別子そのものに注目したのを読み始めました。

まだ20ページ余りしか読んでいませんが、
『 銀目停止 』 に触れています。
こんなタイムリーな出来事が嬉しい!
「 長者番付に名を連ねていた大坂の旧家 ・ 富豪約30件のうち、
明治以降生き延びたのは10軒に満たない惨憺たる状態。 」
だったそうです。
古~い考えから抜け出せない、
あの怖いオカンが仕切っている
山王寺屋がダメになるのは当然なんですね!
2015年10月22日
『 南京玉すだれ 』
今はまた民俗芸能として見直されてるってことですかね。 」
って、写真の山中さんの話が解りやすかったです。
着付けの山中さんの義妹さんが、
『 南京玉すだれ 』 を習っているので、
『 豆の会 』 に来てもらったらどうでしょう?
っていう提案をしてくれたことで、
八房流 南京玉すだれ 『 紀の国 』 の皆さん
にゲストをお願いしました。
( 因みに、写真と着付けの山中さんは夫婦ではありません。 )


水戸黄門の旅先か、
お正月のかくし芸くらいの
テレビでしか見たことがありませんでした。
栗山さんのお嬢さんくらい若いと、
聞いたこともなかったらしいですけど、
楽しいものですね。
“ 見立て芸 ” って言うらしいけど、
見る側にも、感じ取る力がいるんですね。
こりゃ、やっぱり日本人が優秀だから成立する芸ですナ!
ちょっと、お勉強の時間。

“ 南京 ” って付いてるけど、
日本の芸で、
「 唐人、阿蘭陀、南京にも双つとない、ハイカラな芸 」
というような意味だそうです。
体験もさせて頂きました。
子供の頃、巻き簾で同じことが出来ないかと思ったけど、
全然それらしくならなくて、
どんな仕組みになっているのかと思っていましたが、
初めて、仕組みが解りました。
「 なるほどねぇ! 」 です。

体験したくて、
ずっとウズウズしていた桐子ねぇさん!
2015年10月21日
『 感覚はときに観念より切実 』
『 着付けスタイル花衣 』 の山中直美さんに、
「 幸田文のエッセイは文章いいし、
タイトルも山中さん向きなので読んでみませんか? 」
って、お貸しする約束をしたときには
私がまだ読んでいませんでした。

読み掛けが2冊あったし、
まだ手がつかずに積上げたままのが何冊かあったので、
先に読んでもらったら良いと思ったのですが、
1冊読み終わったときに
22日の 『 豆の会 』 でお会いするまで
1週間あるから大丈夫だだろうと読み始めて、
今日読んでしまいました。
初めの方1/4ほどの
“ 着物 ” の色々な説明っぽい話の部分は、
私には退屈でしたが、
それより後ろの部分が良かったです。
幸田露伴の影響が大きい人なので ( 当たり前ですけど! )
・ 人間らしさ ( 日本人らしさ )
・ 粋
・ 自然を感じ取って、表現する自然さ
とても気持ち良く読めたのと、
私の “ 建築感 ” を説明するのに、
そのまま頂いてしまえそうな言葉とエピソードが沢山あって、
早く読んで良かったなぁ!
と思っています。
簡単に読み流してしまいそうな言葉でしたが、
『 感覚はときに観念より切実 』 は、
すぐに頂いてしまいました。
2015年10月18日
状況の変化を感じないと!
古い思い出をいつまでも語るのも
なんだか寂しく思われそうでイヤなんだけど ・ ・ ・ 。
色々してきたので、
自分の中では、良い思い出が沢山あるわけで!
新居浜市。
愛媛県ですけど、ちょっとした思い出の街です。
まだ若い・若い頃です。
土曜日の夜に神戸の青木港から船に乗ると、
朝、新居浜に着くんですね。
日曜日遊んで夜船に乗って、
月曜の朝には青木港に着くから、
そのまま大阪市内の事務所に行って仕事をする。
なんてことをしていた時期がありました。
まだ若くて、街の成り立ちなんて興味がなかったけど、
住友系の工場が目に付いたから
和歌山市みたいなものかと思っていましたが、
住友財閥の “ 御膝下 ” なんですね。
テレビで 『 別子銅山 』 のことを紹介しているのを観ました。
『 足尾銅山 』 の鉱毒と、
それに立ち向かった田中正造のことは読んだことがありましたが、
テレビでは、『 別子銅山 』 は公害問題に前向きに取り組んだ。
そんな風な話のつくりだったと思います。
これを読むと、事実は随分違ったようで、
『 別子銅山 』 も鉱毒で、大変な公害問題になっているんですね。
鉱毒の問題以後、別子山村にかわって
新居浜市がどんどん発展するのですが、
『 企業城下町 』 化してしまって、
住友頼みで経済がまわっているから
自分たちで街を発展させる力をなくしてしまうんですね。
その泥沼のような状態から抜け出せない街の状態で
この本は終わっているのですが、
初版1991年の本なので、
その後新居浜市がどんな方向に向かったのかは解りません。
有田市に住んでいると、
『 企業城下町 』 で、以前とは状況が変わっているのに、
自分たちで立ち上がる力をなくした街が、
どんなものかがとてもリアルに感じられる気がします。
いつまでも古い思い出を語っていることよりも、
もっと寂しい、大変な問題なんですよね。
・ ・ ・ きっと!
2015年10月17日
直せないのは困る
恐ろしくて乗る気がしませんでしたが、
色んなことを経験して、少したくましくなりました。
出掛ける直前、
「 あぁそうそう、ウオッシャー液なくなってた! 」
って、ボンネットを開けたら、
よく解らないけど、ちょっといつもと景色が違う ・ ・ ・ 。

おかしなホースが上を向いて口を開けていました。
吸気ダクト ( だと思う ) が、
所定の位置から外れているみたいです。
「 そう言えば、最近パワーが出ていない気がしたなぁ! 」
って、気のせいかも知れませんが!
クルマ屋さんに電話で、
「 引っ張ったら差し込めるから、
金属バンド買ってきて締めておいたら大丈夫かなぁ? 」
って訊いたら、
「 それでいいよぅ! 」
とのお返事。

ホームセンターでこれを見付けるのが大変でした。
で、完成!

こんなもの間違ったからって、
命落とすこともないだろうし、
自分で出来ました!
最近は、自分で触ることができない。
モノによっては、
自分で触らせないようになっていたりするけど、
クルマに限らず、
ちょっとしたことを自分で直せるていどの仕組みって、
これからの時代、とても大切なことのように思います。
2015年10月13日
難しいことは解りませんが!
平日の蒲公英工房さんからの朝日です。

昨日12日、和歌の浦アートキューブを会場に、
蒲公英工房さん主催の
『 日本書紀歌謡レクチャー&コンサート 』 でした。

私の理解では、
・日本書紀は当時の中国語で書かれている。
( 古事記は国内向けの歴史書なので、日本語。
日本書紀は海外向けの歴史書なので
中国語で書かれていたのだそうです。 )
・そのころの中国語には旋律があったことが解っている。
・だから、日本書紀は唄うことができる。
こんなことだと思います。
正直に言います。
難しいです。
難しいけど、とても気持ち良い音の世界でした。
それでいいんじゃないかと思っています。
コンサート終了後、
出演者の皆さんたちが、
紀美野町の工房に移動して打ち上げでした。
出演者でもスタッフでもないけど、
「 上野山さんも来てください。 」 と、
事前にお話をいただいていたので、
遠慮なく参加させていただきました。

日本語観
歴史観
音楽観
知識も、感性も一級の方たちなので、
とても楽しくお話をさせて頂きました。
帰るつもりだったのが、
フルートを演奏された久保順さんからでた、
私の感覚では解らなかった
和歌山の魅力のお話から帰れなくなってしまったんですね。
黒田さんからも 「 もう泊まられたらいかがですか 」
と言っていただいたことで、お泊りしちゃいました。
人生の2/3くらいを海外で過ごした人の視点。
けど、その感じ方が自然なんじゃないかと感じながら
沢山お話させていただいて、
「 昨日も早かったのでもう寝ますね。 」
と、久保さんから言われたときには朝4時半でした。
朝ごはんも皆さんと一緒にしっかり頂いて、
モワ~っとした頭で帰って来ました。
2015年10月08日
時代がオレについてくる!
こういうのは何なんでしょう?
息子に電話したら、
「 ヒストリアのことで電話して来たかと思った。 」
と言われました。
「 このあいだお父さんが言ってた人のことしてる! 」
NHKの 『 歴史秘話ヒストリア 』 で、
愛新覚羅溥傑と浩さんが取り上げられて、
ちょうど放送が始まったところでした。
この2人のことは、以前ドラマにもなったらしいので、
知っている人は知っている!
っていう話なのかも知れませんが、
先月の東濱口家見学のあとの雑談で聞くまで
私は知りませんでした。
( 東濱口家は何度も見学させていただいていますが )
東濱口家から、
嵯峨侯爵家に嫁いだ方のお嬢さんが浩さん!
そのことに興味を持って、
先日自叙伝を読み終わったところで、

今日の 『 歴史秘話ヒストリア 』 です。
時々こんなタイムリーなことが起こるんですけど、
きっと何かがあるんですね!
“ 何か ” って、何のことかよく解りませんけど ・ ・ ・ 。
2015年10月04日
作り話でもこんなことは ・ ・ ・
みんな “ お姫様 ” とか “ お嬢様 ” とかに憧れるんでしょう?
きっと!
中には違う人もいるかも知れませんが、
私だって、お坊ちゃまに生まれたかったですモン ・ ・ ・ 。
お姫様で
お嬢様に生まれても、
生涯楽しいことばかりで幸せに過ごせるとは限らないようで、
“ いいところ ” に生まれたばかりに
大変な人生をおくった人の自叙伝です。

先月見学させていただいた広川町の東濱口家のお嬢さん
尚子さんが
元公家正親町三条家の嵯峨家へお嫁に行ったんですね。
( 明治時代のことです )
そして生まれた 浩 さんという女性が、
ラストエンペラー 愛新覚羅溥儀の弟 溥傑 と結婚しました。
軍が仕組んだ政略結婚です。
ここまでは、見学させていただいたときにお聞きした話で、
家系図ではこうなります。

左上の方が濱口家で、
一番右の上の方に西太后の名前もあります。
当時の皇族や公家の家系では、
女の子を親戚にあずけて育ててもらうことが普通にあったようで、
浩 さんも母の実家濱口家で育ったらしいです。
愛新覚羅と結婚しただけでも、
戦中戦後、大変なことがあっただろうと想像できますが、
それだけではないんですね。
戦後、ようやく落ち着いてからでも
普通の人が経験しない大変なことが起こります。
ここではワザと書かないけど、
「 作り話でもこうはいかない! 」
っていうくらいの人生ですね。
先日、見学させていただいたお礼に改めて伺ったときに、
たまたま千葉から戻られていた
濱口家の当代ご当主にご紹介いただいて、
ご挨拶させていただこともあって、
ちょっと身近に感じる割には
そのスケールの大きさに感動しています。
( ちょっと違うけど他の言葉が浮かばない ・ ・ ・ )
2015年10月04日
四つ足が喰いてぇ!
山を下りるなりオッサン3人で串カツ屋に直行なんてのは、
俗ですなぁ ・ ・ ・ 。
建築士会の近畿建築祭。

今年は和歌山県が登板に当たっていて、
昨日10月3日、高野山大学をメイン会場に
高野山一帯で開催されました。
高野山大学で歴史・民族を研究されている
森本准教授の基調講演
『 高野文化圏における歴史・民族 』 の中で、

御田祭りが取り上げられましたが、
いくつかの地域に残っているこの祭りの内、
完全に途絶えた後、
現代高校生たちによって復元されたのがあるそうで、
台本が残っているけど、
表現の仕方が解っていないものだそうです。
歴史や風俗を研究する人からは評価されない
この御田祭りが興味深いとのことです。
原型を守りながら受け継がれている
他の地域を複数研究することで、
途絶えて解らなくなっている地域の祭りがどんなものだったかを
推測することができる。
興味深い研究でした。
元は1つから起こっているはずなので、
少しずつ変化して今も残っている
御田祭りの原型を知ることができそうです。
こんな機会でなければ見ることが難しい建物もあります。
武田五一の設計により昭和4年完成の高野山大学図書館。

当時は “ 東洋一 ” と称されたそうで、
歴史の重みを感じることができる立派なものでした。

沢山勉強して、
1台のクルマで一緒に行った3人組が山から下りてきた時
「 昼は精進料理の弁当だったし、四つ足が喰いてぇ! 」
って、
シッカリ俗世間にリセットしたのでした。
2015年10月02日
列車に栓抜きがあった頃
田舎なので、本屋さんで買う比率がドンドン下がって、
amazonのごひいきさんになっています。
タイトルと、解説とプレビューと、
あとはその内容を感じ取るセンスで本を買います。

で、これは副題の
『 列車に栓抜きがあった頃 』 が、
心にググッと来ました。
栓抜きありましたね。
ビンを栓抜きにセットした段階では、
中身がこぼれそうな角度なんですけど、
グイッっと下向きに力を入れて栓が抜けたときには
ビンはキチンと真っ直ぐになっていて、
この絶妙なタイミングの良さが気持ち良かったです。
今では、栓抜きが必要なビンがなくなってしまって、
列車からも観光バスからも栓抜きがなくなってしまいましたけど。
それだけではなくて、
鉄道の懐かしい話が沢山出てくるんですけど、
木の枕木、
コンクリートの枕木が増えていますが、
エコロジーの視点で
木の枕木にもどしている私鉄もあるのだそうです。
70年前の車両を
自分たちで部品を加工しながら使っている鉄道会社もある。
構造がシンプルなので、そんなことができるのだそうです。
北陸本線の特急 雷鳥 。
今では近代的な車両に変わって サンダーバード になっていますが、
雷鳥 時代の車両は重さがあるので、
近代的な
高性能な車両にはない良質の乗り心地があったのだそうです。
何でも新しいことを有難がりがちですが、
経済の効率を優先させたために
本当は良くなくなっていることも沢山あるんですよね。
本質を見極めて良いモノに触れて暮らしたいと思うのです。