2017年05月07日
ガッコウでは教えてくれない
少し濃くこの農村の自治会活動にかかわってみると、
みんなが農業しているわけではなくなった今でも、
農耕と、神事と仏事で
コミュニティーの仕組みができている感じがしてきます。
「 なぜ、いつ頃そうなったんだろう? 」
という研究など、
学者ではない私がするつもりもありませんが、
解れば面白いでしょうね。
5年ほど前に見に行った桜井市のここ。


大陸から瀬戸内を通って難波津に着いて、
大和川を上った仏教は、ここに上陸したのだそうです。
そのあと、
なんやかんやあって、蘇我馬子が飛鳥寺を建立した。
って、これに書いてありました。

6世紀頃のことだそうで、
国の安寧を祈るための仏教だったので、
政治の都合に合わせて、
今でも奈良にたくさん残るお寺が建てられたんですね。
農村にまでお寺が建てられるようになったのが8世紀頃、
って、当初の疑問の答えっぽいことが、
百何ページ読んできた最後の7行ほどに書かれていました。
信仰としての中世的な仏教は、
それよりずっと後のことで、
ただちにつながるものではないらしいけど。
みんなが農業しているわけではなくなった今でも、
農耕と、神事と仏事で
コミュニティーの仕組みができている感じがしてきます。
「 なぜ、いつ頃そうなったんだろう? 」
という研究など、
学者ではない私がするつもりもありませんが、
解れば面白いでしょうね。
5年ほど前に見に行った桜井市のここ。


大陸から瀬戸内を通って難波津に着いて、
大和川を上った仏教は、ここに上陸したのだそうです。
そのあと、
なんやかんやあって、蘇我馬子が飛鳥寺を建立した。
って、これに書いてありました。

6世紀頃のことだそうで、
国の安寧を祈るための仏教だったので、
政治の都合に合わせて、
今でも奈良にたくさん残るお寺が建てられたんですね。
農村にまでお寺が建てられるようになったのが8世紀頃、
って、当初の疑問の答えっぽいことが、
百何ページ読んできた最後の7行ほどに書かれていました。
信仰としての中世的な仏教は、
それよりずっと後のことで、
ただちにつながるものではないらしいけど。
Posted by CAOS at 12:05│Comments(0)
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