2012年11月14日
平城宮跡
何十年ぶりだったでしょう?
近鉄電車から平城宮跡を見ました。
学生の頃から奈良が好きで、よく行きましたが、
近鉄電車の窓から見える平城宮跡はただの野っ原でした。
それも、街中に突然現れる広大な野っ原ですから、
今ほど歴史や文化の価値を感じていなかった私には
「 不思議な野っ原 」 でした。
クルマで奈良に行くようになってからも特に興味はなくて、
完成した朱雀門を見に行ったのが初めてのことです。
その後まだ誰もいない頃に何度も行きましたが、
大極殿が完成して、
一昨年の遷都1300年祭でみんなが行きましたね。

今は、また人もまばらになっていますが
「 ここに日本の中心があって、世界の文化文明と渡り合った。 」
と思うと、空気も時間も他とは違って感じます。
学生の頃の 「 野っ原 」 のイメージが、
今同じ近鉄電車の窓から見たらどんな風にかわっているか
ずっと気になっていました。
今日かなって、ちょっと緊張して窓の外を眺めました。
ススキの穂で真っ白な野っ原は
「 感動的な風景 」 に変わっていました。
=わたし暗示に弱いみたいです。
誰も興味を持たなければ
ビルが立ち並んでしまっていたであろうこの場所は、
明治の頃には全部田んぼだったそうです。
ここを日本の誇りとして保存しなければいけない。
と、人生も私財もなげうって国まで動かした
棚田嘉十郎翁の存在も忘れてはいけない。
近鉄電車から平城宮跡を見ました。
学生の頃から奈良が好きで、よく行きましたが、
近鉄電車の窓から見える平城宮跡はただの野っ原でした。
それも、街中に突然現れる広大な野っ原ですから、
今ほど歴史や文化の価値を感じていなかった私には
「 不思議な野っ原 」 でした。
クルマで奈良に行くようになってからも特に興味はなくて、
完成した朱雀門を見に行ったのが初めてのことです。
その後まだ誰もいない頃に何度も行きましたが、
大極殿が完成して、
一昨年の遷都1300年祭でみんなが行きましたね。

今は、また人もまばらになっていますが
「 ここに日本の中心があって、世界の文化文明と渡り合った。 」
と思うと、空気も時間も他とは違って感じます。
学生の頃の 「 野っ原 」 のイメージが、
今同じ近鉄電車の窓から見たらどんな風にかわっているか
ずっと気になっていました。
今日かなって、ちょっと緊張して窓の外を眺めました。
ススキの穂で真っ白な野っ原は
「 感動的な風景 」 に変わっていました。
=わたし暗示に弱いみたいです。
誰も興味を持たなければ
ビルが立ち並んでしまっていたであろうこの場所は、
明治の頃には全部田んぼだったそうです。
ここを日本の誇りとして保存しなければいけない。
と、人生も私財もなげうって国まで動かした
棚田嘉十郎翁の存在も忘れてはいけない。
Posted by CAOS at 23:58│Comments(0)
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