2013年01月06日
表現の “ 仕掛け ”
モノづくりの表現の仕方は沢山あると思いますが、
今思い出しているのは桂離宮。
行幸門から入って御殿に向かう通路は
行幸道と呼ばれますが、
左右の視界をワザと遮って
気持ちを閉じ込めさせているんですね。
これは、通路が終わって一気に視界が広がったときに
庭の美しさがより強調されて感動させる
効果をねらったものだと言われています。

この4歳年下の女流作家のファンでいつづけているのは、
自分と感性が似ていると思っているからです。
・ ・ ・ 直木賞作家と感性が似ていると言うのも
非常におこがましいことですが、
「 一緒に同じものを見れば、同じように感じることが出来る 」
と、私は思っています。
( 感動を同じ言葉で表現できる。とは思わんが ・ ・ ・ )
ずっとそう思い続けていましたが、
この本に関しては、
「 ちょっと違うかな? 」 と感じました。
日経新聞サマに連載されていたらしいので、
客層に合わせたものか?と思いながら読みましたが、
最後の数ページは何となく “ 角田調 ” を感じました。
この480ページを超えるながい小説が、
最後の数ページの表現に向かうために
延々、淡々と描かれたものだったとしたら
それはスゴイ仕掛けだと思いますが!
今思い出しているのは桂離宮。
行幸門から入って御殿に向かう通路は
行幸道と呼ばれますが、
左右の視界をワザと遮って
気持ちを閉じ込めさせているんですね。
これは、通路が終わって一気に視界が広がったときに
庭の美しさがより強調されて感動させる
効果をねらったものだと言われています。

この4歳年下の女流作家のファンでいつづけているのは、
自分と感性が似ていると思っているからです。
・ ・ ・ 直木賞作家と感性が似ていると言うのも
非常におこがましいことですが、
「 一緒に同じものを見れば、同じように感じることが出来る 」
と、私は思っています。
( 感動を同じ言葉で表現できる。とは思わんが ・ ・ ・ )
ずっとそう思い続けていましたが、
この本に関しては、
「 ちょっと違うかな? 」 と感じました。
日経新聞サマに連載されていたらしいので、
客層に合わせたものか?と思いながら読みましたが、
最後の数ページは何となく “ 角田調 ” を感じました。
この480ページを超えるながい小説が、
最後の数ページの表現に向かうために
延々、淡々と描かれたものだったとしたら
それはスゴイ仕掛けだと思いますが!
Posted by CAOS at 03:10│Comments(0)
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