カテゴリ
日記 (708)
QRコード
QRCODE
オーナーへメッセージ
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


2014年08月07日

紀州の殿様 やりすぎ!

 御三家で

55万石の殿様なら、

100年経っても領民の祖先から

自慢に思われても良さそうなのに、

和歌山県民が 「 うちの殿様 」 を

誇りに思ってるように感じたことがあまりなくて、

何となく不思議でした。

 和歌山市内の人は、

他の地域の人よりお城に対しての愛着はあるようですが、

それも、

小さなころに遊んだとか、

おじいちゃんによく連れて行ってもらった。

みたいな感じで、

殿様に対しての想いではなさそうなんですね。



 ほかにもそんな風に感じていた人がいたようで、

司馬遼太郎が 『 街道をゆく 』 のシリーズの



『 壱岐 ・ 対馬の道 』 のなかで、

紀州人が一般に

徳川家を懐かしまない理由はここにあるという説がある。

と説明しているのを見付けました。



 年貢米の取り分は、

江戸時代初期は 四公六民の割合 で、

農民の取り分が六割だったのが、

時代がくだるにつれて

六公四民 の割合が普通になった。

紀州徳川領はもっとひどくて、

八公二民 の割合で搾取されていたということだそうです。



 将軍家の直轄領では初期の税率が守られていた。

そうなので、

これでは、「 うちの殿様 」 に思い入れがないのは

仕方ないかも知れません!
  


Posted by CAOS at 00:00Comments(0)日記