カテゴリ
日記 (708)
QRコード
QRCODE
オーナーへメッセージ
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


2017年05月07日

ガッコウでは教えてくれない

 少し濃くこの農村の自治会活動にかかわってみると、

みんなが農業しているわけではなくなった今でも、

農耕と、神事と仏事で

コミュニティーの仕組みができている感じがしてきます。

 

 「 なぜ、いつ頃そうなったんだろう? 」

という研究など、

学者ではない私がするつもりもありませんが、

解れば面白いでしょうね。

 

 5年ほど前に見に行った桜井市のここ。





大陸から瀬戸内を通って難波津に着いて、

大和川を上った仏教は、ここに上陸したのだそうです。

 

 そのあと、

なんやかんやあって、蘇我馬子が飛鳥寺を建立した。

って、これに書いてありました。



6世紀頃のことだそうで、

国の安寧を祈るための仏教だったので、

政治の都合に合わせて、

今でも奈良にたくさん残るお寺が建てられたんですね。

 

 農村にまでお寺が建てられるようになったのが8世紀頃、

って、当初の疑問の答えっぽいことが、

百何ページ読んできた最後の7行ほどに書かれていました。

信仰としての中世的な仏教は、

それよりずっと後のことで、

ただちにつながるものではないらしいけど。  


Posted by CAOS at 12:05Comments(0)日記